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2016.02.13 Saturday

遺書―続―

JUGEMテーマ:陶芸

 前回より

 
  

 
 ―作品について―

 作品の出来は、縁と高台のバランスで決まる。

現状の有田の作品は重い。それは高台の厚さと削り、縁の作りが甘いという意味です。

今の有田の職人や作家のレベルの低さを憂いたお言葉です。

 
 以前私は重いとか軽いとかというタイトルで、軽い事が全てではないという事を申し上げましたが、

軽く作る事を念頭に置いた作品において、それが重い事は良くないという認識ですので、

柿右衛門先生と相対するわけではありません。

 
 有田においてはと前置きされているが、確かに有田においては

柿右衛門先生の仰る視点は非常に重要な様に思えます。

 柿右衛門先生が仰っている事は、安定感のある安心したフォルムを大事にしつつ、

その土に対し一番軽い状態を安定して作り出すという意味。

一品一品ならまだそこまでは無いのですが、セットで作るとしたら至難の業です。

 磁器がシャープで硬い質感故、一概に

それが暖かさと柔らかい質感の陶器に全て当て嵌まるとは思いませんが、

その求めている品質の高さには見習うべきものがあります。

 
 
 工芸会に対する作品に対しても、似た様な事を仰られています。

すごく荒く要約するとこんな感じ。

「我々は新しいものを作る事も大切だが、それよりもまずは伝統を守る事。

その為にもしっかりとした技術を身につける事が肝要である。

技術が伴わなければ、伝統を守る事も新しい作品を作り出す事も出来ない。

(現代の姿があっても良いがと前置きされた上で、)例えば現在作家は、縁に対する意識の欠如が甚だしく、

それは器ではなくオブジェである(オブジェが悪いとは仰られていません)。

 新しいものを産み出すにしても、まずは土、石、ロクロや絵の良し悪しの技術力が前提として大事だ」と。


 私は柿右衛門の名前を継ぐわけでもなく、有田に居るわけでもなく、磁器の作陶家でもないのですが、

柿右衛門先生の工芸会に対する見方には、大いに従うべきものがあります。

 陶磁器は先人の仕事が大きな事もあり、

それを繋ぐ我々(私を含めるのはおこがましいですが)に求められるものは

大きなものがあります。

 私の価値観は工芸会一辺倒ではありませんが、

その志の高さ、求められているレベルの厳しさには難しいですが、たとえ何の実力もない私であっても

気持ちだけは、何とか応えて行ける様に精進する所存です。

 私、頑張りますよ。
 
 










 
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